最近、クライアントのオフィスに訪問すると、ペットボトルでお茶を出される事が一般的となった。
数年前まではお茶汲み係りという人がいて、その多くは女性がお茶を汲んで座席まで持って来てくれ事が一般的だった。
しかし最近では、人員の削減や業務効率化といった流れの中、男女差別やハラスメントという問題にも発展するリスクがある点で、お茶を出すという作業に重点を置かなくなったのだと思う。
ペットボトルで飲み物を出す企業の中には、お茶だけでなく、水やコーヒーや紅茶、またはジュースといったバリエーションを豊富に備えている企業も珍しくなく、選べるという点で顧客側からはありがたい面もあるが、折衝が終わった際に、そのペットボトルのゴミをどうして良いか、少し悩む場面も出て来たと感じている。
気さくな企業や担当者であれば、『どうぞ、そのまま置いて行って下さい』と言ってくれるケースがほとんどではあるが、ごく稀に『ゴミを置いて行くのか?』という雰囲気を出す人や、本当にそういう類の事を言ってくる人に遭遇する場合もある。
特に相手がお得意様や、重要顧客という立場関係がより強固で、寸分の粗相も許されない等の場合、空になったペットボトルでもそれとなく『これ、頂いて帰って宜しいですか?』等と、少し気の効いたトーンで、その場から持ち去るのが、一番波風の立たない正攻法というか、ビジネス茶道なのかもしれない。
または相手の都合で発生したゴミを持ち帰るのは納得が行かない、どうしてもゴミを出したくないと考える人は、出されたペットボトルのキャップを開けずに、あえて飲まないという形で再利用を促すという方法もありかもしれない。
こんな感じで、色々と考える事も増えて来たと思えば、時代や環境も変われば、スタンダードも変わって行くものと改めて痛感する。
また多くの企業でこの方式を採用しているとすれば、人が入れるお茶に希少価値が高まるかもしれないとも感じている。
私が新卒で入社した会社で、配属先が正式に決まる前に、一時的に総務部を手伝った事があった。
そこで初めて与えられた仕事が、お茶汲みだった。
当時教育してくれた御局様が、茶道部か何かの出身だったらしく、かなりお茶をだすのが丁寧で、そして厳しかった。
お茶を美味しく感じる最適な温度や注ぎ方、湯飲みの柄の向きやお茶を差し出す姿勢等々、単にお茶を出すという工程に、幾つもの工程に気を配る事を教わった。
その考え方や教えは、何もお茶に限らず、あらゆる場面で共通していると感じる事ができる。
歴史的に見ても、石田三成という武将が、豊臣秀吉にお茶を出した際の手際の良さを見抜き、大名にまで取り立てたというエピソードもあるくらいだ。
見ている人は細かいところをよく見ている。特に大物と呼ばれるような人ほど、その傾向は顕著に現れる。
そもそも日本には古来より、茶の湯でもてなすという文化が、かなり深いレベルで浸透しているのだと思う。
こういうチャンスを単に効率という一括りで、不意にして良いものかと、時々思いを馳せる。
そして世の中の流れはデジタルとアナログの行ったり来たりを繰り返す。
ペットボトル方式がデジタルだとすると、必ずアナログ方式を見直される時期が来る。
そしてこれだけテクノロジーが加速した今、心の時代が必ず到来する。
これらの事を統合すると、やるべき事が見えてくるのではないだろうか。